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しんきん地域づくりラボ > わがまち起業家!発掘プロジェクト > わがまち起業家物語 > 二人三脚でつくった「しんぐうおたっしゃ館」-"自分が住みたい"と思える介護付賃貸住宅を目指して- ~一般社団法人 悠友(ゆうゆう) 代表理事 莵原雨石(うはらうせき)氏、理事 莵原久視子(うはらくみこ)氏

二人三脚でつくった「しんぐうおたっしゃ館」-"自分が住みたい"と思える介護付賃貸住宅を目指して-
~一般社団法人 悠友(ゆうゆう) 代表理事 莵原雨石(うはらうせき)氏、理事 莵原久視子(うはらくみこ)氏

2011-12-23

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 紀伊半島南部に位置する和歌山県新宮市には、世界遺産となった熊野三山の一つ熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)があり、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)や熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)とともに、"神のおわす(熊野の意味)"地域として知られる。莵原雨石さんと久視子さんが結婚してから、この新宮市で40年以上が経つ。雨石さんは新宮市役所を定年退職し、久視子さんも立ち上げから関わっていた障害児者支援センターの施設長の役を後進に譲った。これからは二人でのんびりと...、ということにはならなかった。高齢者が安心して暮らせる場がないと感じた二人は、それなら自分たちでつくろうと動き始めたからだ。



地域ぐるみで取り組む~1981年の国際障害者年

"自分たちでつくる"という発想が二人の中から自然に出てくるのは、これまでずっと自分たちでつくってきたからだ。そのベースになっているのが、1981年の国際障害者年に莵原さんたちボランティアや障害者団体が新宮で始めた"障害者と市民のつどい"というイベント。
「1981年当時は、まだ障害者が表に出にくい雰囲気でした。そこで、障害者が気楽に参加できる夏祭りをやってみようということになったのです。いろいろな障害者団体に集まっていただいて実行委員会をつくり、新宮市全体を巻き込むようなかたちで開催しました」。雨石さんと久視子さんは、それぞれ仕事を抱えての取り組みだったが、同じ大学で社会福祉を学んだ1学年違いの先輩と後輩であった二人の想いは一致していた。
「手伝ってくれたみんなも準備が大変だったにも関わらず、こんないいことなら来年もやろうよといってくれてね」と雨石さん。「それから毎年開催されていて、31回目の今年は3,000人も集まったんです」と久視子さん。
このイベントが地域に与えた影響は大きい。障害者への関心が高まり、ボランティア意識が根づいてボランティア・グループもたくさんできた。
一方、二人には"自分たちでつくる"ことができるという自信を与えてくれた。と同時に地域の人たちからの信頼を得ることにもつながり、次のステップへの原動力にもなっていく。



障害者のための施設をつくる

久視子さんは、病気で働けなくなった父親の代わりに、苦労しながら3人の子どもを大学に入れた母親の姿を見て、女性も仕事を持って自立しなければと思い、中学校教諭として障害児学級の担任をしていた。その仕事を通じて、障害者を取り巻く厳しい現実を久視子さんは身を持って知った。中学を卒業した後の行き場がない障害者たちの周辺ではいろいろな問題が起こった。自分たちがいなくなった後、誰が我が子の世話をしてくれるのかと、将来を悲観して一家心中を考えるほどの瀬戸際に立たされている障害者の親たちの悩みも聞いた。
「それまでは"障害者の施設を作るのは行政の責任や"と行政に要求する運動が中心でした。要求してきたものが国際障害者年を契機にいくつも出来上がったのは確かですが、それだけでは足りなかったんです。ならば自分たちの施設は、自分たちの力でつくろうやないか」そう久視子さんは決意したという。久視子さんが最初に取り組んだのは、県内になかった、目や耳の障害を併せ持つ重複障害者も入所することのできる知的障害者の入所施設をつくることだ。
県に働きをかけていた障害者の家族たち、教師仲間、イベントを通してつながった障害者団体などからの支援を得て社会福祉法人を設立すると、そこを母体に1988年、熊野川町(現・新宮市)に知的障害者の入所施設「杉の郷」を起ち上げた。同施設には、他の施設では受け入れてもらえない、重度重複の知的障害者も入所した。
2.jpg この施設をつくるために、久視子さんは学校を辞めた。「子どもにお金がかかる時期だったのに私の収入はこれまでの半分。家のローンや学資に消え、夫の給料に頼る生活となりました。子どもに"なんでうちはこんなに貧乏なん?"といつも言われてましたね(笑)」という久視子さんに雨石さんは「しゃあないなと思っていました。悪いことしているわけではないしね」。久視子さんが思い切り動けたのは、雨石さんの理解と支えがあったからだということがよくわかる優しい言葉だ。
 8年後の1996年には、これも県内になかった、高齢になった知的障害者の入所施設「杉の郷えぼし寮」(*)を、杉の郷入所者の家族の協力を得て新たにつくった。
「杉の郷」が軌道に乗り、新たな課題が見えてきた時期。前へ進むしかなかったという久視子さんの勢いは止まらない。
2003年には、障害者が住み慣れた地域で安心して生活できるようにと、通所施設「障害児者支援センター虹」を設立し、障害児の学童保育、地域の小学生の学童保育、重症心身障害児者の通園事業を始めた。さらに2005年には、障害者やその家族の相談に応じ、必要な情報の提供やアドバイスをする「障害児者相談センターゆず」も開設した。
「お陰様で、障害児者の家族の方々の熱意が認められて、国や県から補助金を頂き、市や町のご協力をいただきながらここまでやってこれました。法人として何億もの借金を抱え理事長さんにはずいぶん心配をおかけしました(笑)」
(*)その後、障害者自立支援法の成立を受け、ケアホーム(知的障害者等が自立して生活をすることのできる共同住居)を、「杉の郷」に関連して3ヵ所、「杉の郷えぼし寮」に関連して1ヵ所つくっている。



しんぐうおたっしゃ館

 こうした経験もあり、高齢者が安心して暮らせる場が必要だと考えたときも、自分たちでそれをつくろうという方向に自然と進んでいった。
 「ただ二人とももう歳ですし、障害者施設をつくった時のように膨大な申請書類を作成するエネルギーはないので、高齢者生活協同組合にお願いすることにしました」
高齢者生活協同組合とは、超高齢社会の中では、高齢者は支えられるばかりの存在ではなく、社会を支える存在でなければならないと考え、組合員が協力し合って仕事をおこしたり、いきがい活動を行ったり、福祉の充実を図ったりしている組織。全国35都道府県で活動している。県内にある和歌山高齢者生活協同組合(以下「和歌山高齢協」)では、介護事業を営む「ケアセンターおたっしゃ倶楽部」を併設した要介護者向け賃貸住宅「おたっしゃ館」の設立を県内の各地で進めていた。
 久視子さんは、これに注目し、新宮にも「おたっしゃ館」をつくろうと、和歌山高齢協の新宮支部の設立に着手した。

① 和歌山高齢協新宮支部の設立
 和歌山高齢協新宮支部の設立に向けて準備会をつくった久視子さんは事務局を務めることにした。そして支部長の役を雨石さんにお願いした。
 「役所を退職してからずいぶん経っていて、沈没しかけていたんです(笑)。あまり期待もせずに名前だけでも、ということでお願いしたのね。渋々ながら引き受けてくれました」と久視子さんの辛口の発言。
3.jpg  「和歌山高齢協のパンフレットに"人生の完成期 輝いて生きる!"と書かれていたんです。"完成期"という言葉にはっとしましてね。ちょうどその頃、母校の学長が和歌山県内で講演されて、我が校で福祉を学んだOB・OGの皆さんにやっていただきたいことは"地域貢献"であるということを繰り返しおっしゃられたんです。それを聞いて、どっちみち歳とったら死ぬんだから、元気でおるうちに少しでも地域に貢献できることがあればそれをやって、輝いて生きれるんやったらいいんやないかと思ったんです」と雨石さんは支部長を引き受けたときの心境を語る。
「そのうち本当に輝いて、ずいぶん若くなってきました(笑)」と久視子さんが言うと、「引き受けたからには、やれることはやらないとね」と照れる雨石さん。
支部の組合員を100人にしようという目標を掲げ、準備会や懇談会等を何回も開催し、経過報告を丁寧にしていくことで地域の方からの賛同を得ていった。初めは14人だった組合員が1年とちょっとで100名を超え、和歌山高齢協新宮支部は地域に根づいた存在になっていった。

② ゼロからの資金集め
「以前から気になっていたアパートがあって、改修すれば使えるって考えていたんです。お金もないのにいつも大きなことばかり言うって笑われるんですけどね」と久視子さんは笑う。そのアパートを購入・改修して新宮のおったっしゃ館にするため、2010年に一般社団法人悠友を設立した。
 「物件の購入資金と改修資金を借りるには、個人では年齢的に難しいと思ったので法人を設立したんです」と雨石さん。
「一般社団法人は、資金ゼロで設立でき、代表理事と理事の二人だけなら監事もいらないし監査もないコンパクトで使い勝手のよい法人です。また、収益があがっても配当することができないため、利潤を追求することができないというところが、儲けるためではなく、地域に貢献したいと思って施設をつくる私たちにピッタリでした」と一般社団法人にした理由を久視子さんが説明してくれた。「しんぐうおたっしゃ館」のオーナーは一般社団法人悠友であり、和歌山高齢協と賃貸契約を交わして、同協に貸しているというかたちになっている。
「新宮信用金庫さんに借り入れの相談をしたところ、事業内容、地域貢献という点でご理解いただけて。こりゃ元気だしてやらにゃあかんということになりました(笑)」と雨石さん。
このほか備品類の購入資金や開所当初の運転資金も用意しなければならなかった。これらについては、組合員に組合債を購入してもらうかたちで資金を集めた。
「あちこちで "高齢者が安心して生活できる場所がほしいね"って、しょっちゅう話していたから、具体的に動き出したのを見て、新宮支部の組合員さん10人ぐらいの方がすぐに協力してくださり、1ヵ月で1,000万円を超える資金が集まりました。こういう人との関わりが元気のもとになっているんです」と元気いっぱいの久視子さん。

③ 「しんぐうおったっしゃ館」オープン!
2011年5月にオープンした「しんぐうおったっしゃ館」は、2階建のアパートを改修してつくった高齢者専用賃貸住宅で、1階の6室はバリアフリー、定員は16名で1人部屋が8室、2人部屋が4室ある。介護スタッフが常駐しているので在宅介護サービスが24時間365日受けられるようになっている。現在入居者は12名で、新宮や勝浦などこの近辺の人たちである。スタッフは常勤が7名、パートが4名。それ以外に夜勤5名が交替で対応している。スタッフの年齢に制限を設けていないので、スタッフの最高齢は68歳! そのほかにも60歳代のスタッフが6、7名、元気に働いている。

"自分が住みたい"と思える介護付賃貸住宅を目指して

「私たちが目指しているのは"自分が住みたい"と思えるところです。役所にいるときから福祉関係の部署で介護保険事業に関わり、退職後も特別養護老人ホームなどに関わってきたので、多くの施設を見てきましたが、"自分が住みたい"と思える施設は少ないですね。経営が成り立つかどうかを重視し、高齢者を商品として見てしまっているところもあります。そういうところは、効率的に運営するためスタッフをなるべく減らそうとします。経営の観点も大事ですが、それだけだと人間の尊厳がおろそかになってしまいます。福祉の原点は人間の幸せを追求するということですから、そのことを抜きにして物事を進めるとおかしくなってしまう。スタッフを減らす前にどうしたら上手くやれるのかということをまず考えたいですね。和歌山高齢協がいいと思うのは、組合員の組合員による組合員のための活動だからです。サービスを利用する人も提供する人も同じ仲間うちだということです。与える側と受ける側という一方通行の関係ではありたくないんです」と力強く語る雨石さん。久視子さんも想いは一緒だ。

これからも二人三脚で

「今は二人で一人前以下なんです(笑)。車の運転もそばにいないと危ないので一緒に出かけています」と久視子さんがいうと「能力的にはだんだんレベルが落ちてきましたから、二人三脚でやっと半人前ぐらいっていう感じです」と雨石さん。1.jpg  そんな二人にこれからのことをきいてみた。
「東日本大震災の津波の被害をテレビで見たお年寄りや、9月の台風12号による紀伊半島豪雨で被災した一人暮らしの人たちが不安になってね。それで、介護が必要なくても、共同で安心して暮らせる場がほしいというニーズがかなり出てきているから、いろんな情報を集めながら次のことを考えています。ただ、まだおたっしゃ館に空きがあって軌道に乗っていないから、新しいことを始めるのはもう少し落ち着いてからですね」と話す雨石さんだが、久視子さんはまだまだ止まらないようだ。「おたっしゃ館ができてから、子どもたちに次の夢を話すと、"またそんなこと考えて"と叱られました(笑)。でもなかなかゆっくりはできませんね」
 雨石さんと久視子さんは同志のようなご夫婦。静の雨石さんと動の久視子さんは、これからも息のあった二人三脚で人生の完成期を輝き続けていくことだろう。

新宮信用金庫からのメッセージ

 ビビッときた。莵原夫婦の年齢を感じさせない志とその行動力が、当庫の経営方針とまさに一致しました。今年の台風12号による激甚災害にも見舞われた当地で、しんぐうおたっしゃ館は被災者の受け入れ等その理念通りの素晴らしい活動がされています。地域住民のため、地域福祉のため今も現場の最前線でご活躍されているお二人を「新宮信用金庫」としてこれからも応援していきます。


(本文の用語については、現在、法令で使われている用語に準じています)

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